この5年間の追究

2015年09月 1日
山根かずき

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僕はごはんが好きなので、よく料理をします。


日々のごはんを作って食べるのはもちろんですが、
ときどきあるのが、あるメニューにターゲットをしぼって、
自分なりのレシピの追究をすること。
例えばこれまでにはチャーハンやお好み焼き、
パスタなんかが僕の標的にされ、追究されていきました。


追究するときには自分なりのルールがあって、それは
「化学調味料を使わない」ってこと。
なぜなら使ってしまうと
ゲームがとてもイージーになってしまってつまらないからです。


(まぁチャーハンを追求した際は、
 某専門家も「味の素を使う」という話を聞いたので、
 化学調味料の代表選手である味の素を使った時もありますが、、これは例外)


要するに、インスタントにおいしくできてしまうものは使わない。
これが自分ルール。
だから、「高い金を払えば手に入るすごくおいしい食材」とかもダメで、
いつでもどこでも誰でも手に入るものだけを材料にして追求してました。


翻って、気づいたんです。
僕はここ5年の人生においても、
この料理と同じ追究の仕方をしてたんだと。



僕にとっての人生のルール、
それは「イージーな手法をとらないこと」。
そして僕にとってのイージーな手法のひとつが、
「権威に頼ること」です。


僕は高校受験も大学受験も、
周りにいた友人や同じ条件の人達と比べると、
かなり軽々とパスしてきました。
高校や大学に進学すれば「すごいね」「頭いいね」などと言われて、
さらに次のステージに行くための切符がもらえます。
一橋大学卒業者の年収ランキングは、東京大学に次いで2位ですから、


でも大学4年生(2回目)当時の僕にとって
年俸700万払ってくれる会社を選ぶことは「高級食材」を選ぶことだと思えました。
知能試験をパスして虎の威を借ることがなんだかずるく、ぬるく思えた。
だから選ばなかった。
おもしろくなかった。
(※相当量の若気の勢いが含まれています)
だから代わりに「いつでもどこでも誰でも手に入るもの」――
一般的に身近で手に入る物や環境、
あるいは誰もが持ち得る「自分の好きなこと」という動機、
そういうものだけを頼りにして追究してみたかった。


手に入り得る食材の組み合わせを
納得いくまで試しきったらレシピ完成。
僕はレモンピールのときもそうでしたけど、
この試行錯誤のときが真に楽しいのであって、
結論が出るまで毎日・四六時中でもやるのですが、
結論が出ればしばらく冷めます。


僕はどうやら5年間、無我夢中で人生を追求していたようです
そして結果、僕が得たものは、
僕がなんとな〜く嫌悪していた権威というもの、
社会におけるポジション、資格や役職、あるいは家柄や伝統、
それらが作り出すヒエラルキー、生み出す権力というものは、
時に不正に利用されることもあるけれども、
人間社会においてあって当然、
効率のためには利用してしかるべきものだ、という確かな認識です。


また人生をイージーにするその他の要因――
生まれつき美人・イケメンだった、小さい頃から英才教育を受けていた、
時代の流行に乗れた、お偉いさんとたまたま気が合った、などなど...
こういったある種の「化学調味料」は、
ルール無用の人生というものにおいては、
適当に使っちゃって下さい、ということです。


僕は思います。
いつも安い食材でパスタを作っているんだけど、
でも素材たちのポテンシャルを引き出す技術を身につけていたとしたら、
「これ全部高い食材でやったら最強じゃね?」と。


そういうことを夢想します。


ようやく自分のもやもやした気持ちの一部が振り返れて、
少しすっきりしました。




かずたん




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すみません、冒頭の写真は
僕が人生で着用したうち、最も派手なパンツです(いただきもの)